だらり庵の本棚

【#だらり庵の本棚 5】カンテラの灯りの一寸先、立ち昇る心もとなさに惑う 内田百閒『冥途』

1編読み終えるたびに、静かに本を閉じ、今自分がどこにいるのかを確かめたくなる。一気に読み進めてはならない。一息ついては一息つき、暗闇を手探りながら、及び腰で。そうしなければ、戻って来ることができないかもしれない。そんな悪夢的な予感が、読んでいる間中背中にペッタリと張りついている。

読み進めても読み進めても、どこに向かうわけではない。百閒の夢の中をさながら胎内廻りのようにそぞろ歩くことしかできない。全てが夢なのだからそこに説明はない。説明がないままに歩を進めなければならないのは、怖くはないが、厭なものだ。見てはいけないものが、すぐそこの角から躍り出そうな気さえする。

特に「土手」の向こうを覗こうとしてはいけない。「冥途」「花火」「短夜」幾度となく土手が目の前に現れるだろう。向こうにあるのは何だろう。土手なのだから川、だろうか。夢のような現実から立ち離れたところにある川を渡ればどうなるか。僕たちは答えを持ち合わせてはいないけれど、きっと知っている。

だから僕たちも百閒も土手を見上げ、幽明を異にする者たちへ呼びかけることしかできない。

現世に軸足を置いているかぎり、決して近づくことの叶わぬ冥途を精緻な言葉の力で立ち上がらせた怪匠・内田百閒の真骨頂を集めた短編集である。