皆さん、こんにちは。今日もだらだらしてますか?
どうも、だらり庵 庵主のクロギタロウです。
「人生に寄り添う1冊を楽しむ人の様子を写真に残したい」
そんな想いと共にスタートした撮っておきの1冊「本とあなたのポートレート」、略して「ホントレート」
24回目となる今回は、庵主がいつもお世話になっている本屋さんが教えてくれた1冊です。
自分では気付きもしなかった、自らの一面と向き合わせてくれたという、「道」を示す本とのこと。いったいどんな「撮っておきの1冊」だったのでしょうか、早速教えてもらいましょう!
お話を伺った人
三皷由希子さん
1966年大阪生まれ。兵庫県在住。伊丹市で古書みつづみ書房を営む。伊丹市立図書館ことば蔵「カエボン棚」主催。本を愛し、本の魅力を多くの人に伝えるべく精力的に活動。地域を舞台とした各種イベントにも、本屋さんとして入り込み、様々なサポート活動を展開。
私はなんて答えを急いでいたのだろう。
生まれた時から本屋さんであったかのような熱量で活動をされている三皷さん。庵主もいつもお世話になっております。ですが三皷さん、実は初めから古書みつづみ書房を営まれていたわけではなく、長年会社員として働いていたのだそう。しかもかなりのハードワークをされていたそうです……。
三皷さんの会社員時代から、頭の片隅で興味があったのが「お茶」でした。多忙の合間に気まぐれのように顔を出す束の間の休日には、日本茶カフェに足を運び、いろんなお茶を飲んでいたといいます。どこかで時間ができたら本当の「茶道」をやってみたいと思っていたという彼女が持ってきてくれたのが、今回の撮っておき、岡本浩一『茶道に憧れる』です。
茶道……恥ずかしながらワタクシ、『利休に尋ねよ』を読んだことがある程度の茶道を知らぬ者。知らぬ世界に飛び込んで、じっくり三皷さんのお話に耳を傾けました。
『茶道に憧れる』著者の岡本さんは社会学者にして茶人なのだそう。もうすでに面白いですね。本の内容としてはエッセイに分類されるようです。
2013年ごろから茶道を始めたという三皷さんですが、それには理由があったようです。茶道と出会う前の三皷さんは、根っからの仕事120%人間だったようで。少し無理が過ぎ、体調を崩してしまったタイミングで、せっかく時間ができたのだからと茶道に足を踏み入れたのだそう。
それまで三皷さんが茶道について抱いていたイメージは、怖いおばちゃんに「そこ違うでしょ!ペシっ」とやられながらする、なんでそんなことされてまでやってんのというお稽古事だったといいます。お茶を飲むだけの行為が、どうしてそこまで「道」みたいな大げさなものみたいになっているのだろうと。
さらに「茶」道と言うわりには、全然お茶の話が出てこない。このお茶が美味しいと言う情報であったり、お茶の銘柄が聞こえてくるわけでもないのはどうしてなんだろうかと、お茶自体に興味があった三皷さんとしては、そんなことを思っていたのだそうです。そんな気持ちを抱えたままお茶の世界に足を踏み入れた三皷さんですが、その辺りも含めて茶道に対する考え方が一変したのだといいます。
自分よりも若い先生に教えてもらい、一つずつ自分のできることが増えていく感覚が久しぶりで、新鮮な気持ちで茶道に打ち込んでいった三皷さんは、お茶を点てているうちに、ある自分に気付きます。
点てたお茶を飲んでもらった直後に「どう? 美味しい!? ちゃんと点てられてる!?」と前のめりに訊きたくなってウズウズしている自分。
柄杓からお茶碗にお湯を注ぎ、通常であればピッピッと水滴を切りたくなるところを、水滴がポトッポトッと落ちるのをただ待つ。ここでも「柄杓を振りたくなるねん!めっちゃ振りたくなるねん!!……けど、いやいやいや、と我慢する」
こうした自分の中で流れる時間と茶室での時間の流れにギャップを感じつつ、お茶に限らずどれだけ自分のやったことへの反応を求めていたかということを知ったのだそう。
人に指摘されてもなかなか自分の振る舞いにピンとこないものですが、実際に身体を使ってやってみることで、自分のことが見えてくることもあるんですね。ついつい頭で自分のことを分かったつもりになりがちなところに、この一撃。
「お茶って深いな。面白いな」そう思ったといいます。
ただのお稽古事ではないことが知れる1冊。ここからハマる1冊。
皆さんは「茶の湯」についてどのようなイメージをお持ちでしょうか。女性が和服を身に付けて習うお稽古事という印象が強かったりしないでしょうか? 本来は武家の嗜みであった茶道ですが、実はこのイメージ、明治時代に女子に習わせる目的で学校教育の一環としての役割を付与されてからの話なのだそう。
社会学者岡本さんの目から見たお茶の場のやりとり、お茶会とは、女性が着物を着てわーっと華やかなだけのものではないのだそうです。江戸時代以前、男性のものであったお茶の中にある、男性同士の意志のせめぎ合いこそ本来的なものだといいます。
群雄割拠の戦国時代、どちらの側につくのか決めかねている武将が、お茶の席に招かれたとしましょう。静かーな狭い空間でお茶を点ててもらっている間、無言で隣りあい時が過ぎる。傍目にはなんでもないように見えても、実は「で、お前はどっちにつくねん」という静かなやりとりがなされていた…!なんて、そんな機能もお茶にはあったのだとか。
「そう考えると、私はただただお茶が好きだなあと思って始めたし、お稽古場所も女性ばっかりなんだけど、いやいやこれは殿方がするべきだな、と。ビジネスマンはゴルフしてる場合じゃなくて、絶対お茶するべきやなって思いました笑」
三皷さんが『茶道に憧れる』と自身の茶道体験から面白いと思った点に、茶道のゲーム性があるといいます。
待合で待たされ、準備が整い、茶室に呼ばれる。ふと目の前を見やると、待たされている席にも掛け軸が。稲穂の上方を舞い遊ぶ雀。ぼんやり眺めているうちに準備が整ったようで、いよいよ茶席に。釜があるところに立てられた屏風は一面の稲原。さりげなく飾られているのは秋の草原に見られる花。そこで、客人は膝を叩きます。そうかこの空間には、小さく切り取った秋が広がっているのかと。
招待者、つまり亭主が創りあげた秋の世界を感じ取るには、「素地」がないといけません。そのために和歌の素養を磨き、季節を愛でるための歳時記にも通じなくてはならない、ステージに上がるために必要なものを身に付けていく感覚は、確かにゲームのようなワクワク感があるかもしれません。「道」ですから、進んでゆかねば分からないことだらけです。茶道には、天才はいません。
三皷さんは言います。
「時間・空間・季節感を味わうための素養を持っている人だけが奥深いところまで覗くことができるのが茶道。ただのお稽古事に終わらせるのは、絶対にもったいないもの。この1冊を足がかりにハマってくださいな、という感じです」
お茶の世界にいきなり飛び込むのはハードルが高いと敬遠してしまう人もいるでしょう。そんなかたは『茶道に憧れる』ことから始めてみてはいかがでしょうか。
撮影を終えて
僕が本に関わる活動をするうえで常にお世話になっている三皷さんの撮っておきということで、正直に言うと少しいつもと勝手が違いました。相手はプロとして本を扱う方だから、というのが自分の中にあったのかもしれません。そんな僕の様子を知ってか知らずか、三皷さんはそんな意識をするヒマもないくらいに縦横無尽にお茶の世界を案内してくださいました。クロギ君は茶道似合うと思う!など、冗談とも本気ともつかないお言葉で和ませていただいたり。
僕は会社員時代の忙しくされていた三皷さんを知りませんが、今の彼女からはそんなあくせくしていた様子が全く感じられません。全てを優しく包み込んでくれるような素敵な古書みつづみ書房は、小さいがゆえに、茶室のように亭主の心遣いが感じられるのかもしれないな、そんなことを思いました。
お茶、やってみたいですね。
というわけで第24回目のホントレートはここまで。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。今後も素敵な人や本との出会いを期待して、バイバイ!
あなたと大好きな1冊の姿を写真に残しませんか?
ホントレートのご依頼は上記のページをご覧ください。